ひうらさとる「ホタルノヒカリ」のメッセージ

ひうらさとるホタルノヒカリ」(ISBN:406340529X)は、「20代(もしくは世間一般的に華やかな生活を送っているだろうと思われる世代)で恋愛を放棄しているような生活をしている女性」(はてなキーワードよりコピペ)通称「干物女」の恋愛を描いている漫画なのだけれど、3巻には新しいキャラクターとして「ステキ女子」というのが出てくる。「誰しもが年頃の女の子はこうであってほしいと思わずにはいられない魅力あふれる女性」。今で言ったらエビちゃん?(なの?)
ふつうの漫画だったら、「干物女」と「ステキ女子」はライバルとなって、前者は後者に憧れと嫉妬を抱いて思い悩み、最終的には恋愛なりなんなりの結果で前者が後者を駆逐する、というのが基本だ。優しげな男の子が「ボクはみんながうらやむステキ女子よりキミのことが好きなんだ」とか言ってね。事実、「ホタルノヒカリ」も初めはそんなように思える展開をするのだけど、17話「干物vs.ステキ女子、再び」で展開は一変する。
いや、別に展開は一変しなくて、同じように干物女は自由気ままに生きてるのだけど、その姿にステキ女子「が」憧れ、彼女のようになれない自分に思い悩んでしまうのだ。ということは、彼女が単に主人公の当て馬役の書割的な存在じゃなくって、共感できる内面を持たされているってことで、あれ?この漫画は全国の干物女「だけ」を勇気付けさせる漫画じゃなかったの?
干物女干物女なりの(そうならざるを得ない)事情があるように、ステキ女子にも同じだけの重さの内面がある(その上で、干物女の主人公が自由に生きているように、ステキ女子も別に何かに縛られている訳でもなく好きなように行動していたらたまたま「ステキ」になってしまっただけなのだ)。それはほんとうに当たり前のことだけど、でも20年かけて少女漫画/女子漫画を進化させつづけてきたひうらさとるだからこそ描けることで。「干物女ステキ女子 相容れないとこは多々あれど 元はただ今の世を不器用に元気に歩いていってる女のコたち」という最後のネームはだからこそカッコイイ。結局「ホタルノヒカリ」は、(すべてのひうら作品がそうであるように)「女のコがんばれ」というのが唯一のメッセージなのだ。



で、またぞろ「オタク女子研究」の話に戻るけど…って戻らなくても、あるいは干物女ステキ女子腐女子文化系女子/負け犬とかなんとかに言い換えなくっても、「文化系女子は、高偏差値系男子とカルチャーについて語り合いたいと思っている印象があります。そこから恋が芽生えることもあるでしょうね、羨ましい限りでございます。」http://www.bk1.co.jp/contents/booklist/0603_fujo.asp とか言ってる人とどっちがカッコイイのかなんて、わざわざ言わなくてもわかるでしょ?