「ふわふわ」のリアリティ:岩本ナオ


文学フリマの新刊に載せる文章)


 はたちの頃自分が書いていた小説には、団地の別々の棟の4階に住む女の子と男の子があらわれていた。離れた棟のしかし同じ高さにいる2人は、やがてその町の建物のあらゆる4階を巡るようになる。彼女たちが描いてゆく、普通の町の地図とは切片が違うもうひとつの地図。


「浮遊感」という言葉が、少女漫画の、とくに一部のタイプの作品を評するのによく使われる(自分自身、前々回の本で同様のことを書いた)。「地面から10cm浮き上がった〜」というのも同じ表現だ。ほわほわふわふわとしてのどかでファンタジックなもの、というその意味合いは、あるいは少女漫画自体に対する外からの認識なのかもしれない。
町でうわさの天狗の子』は、空を飛ぶ天狗のイメージも相まって、まさにその「浮遊感」的な作品としてはじめ登場した。「天狗」という道具立てがあるからこそ、現実とはちがう話、ここではないどこかの話として受け入れられ、大きな事件も、感情の迸りも起こらない淡々としたストーリーは、「リアル」という言葉とは切り離されたものとして、それを求める読者に歓迎された(それは将来的には「癒し」という言葉と接続されてしまうことになるのかも)。
 地面から離れた「ふわふわ」の感覚が、一部の少女漫画と密接に関わっているのは間違いない。写実的で優れた絵柄で、人間や社会の本質をそのままに描き出すタイプの漫画に比較されて、それらが「リアル」でないもの、とされる回路は確かに存在するだろう。それでは、その「地面」だけが唯一正しく確かなものなのだろうか? 地面に地面を形取った地図があるのと同様に、「ふわふわ」の高さにも、あの少女と少年が測量した地図があるのではないのだろうか? 「ふわふわ」を「リアル」でないものとして切り捨て下に見るのでも、あるいは「リアル」の圧力からの逃げ場としてとらえるのでもなく、あらゆる高さにあるその高さごとの地図を、私たちは「リアル」として読み取らなくてはならない。(「ふわふわ」だけど「リアル」なのではなく、「ふわふわ」であること自体がリアルなのだ)


 けれども、岩本ナオの作品でほんとうに特徴的なのは、その「ふわふわ」感がおおきくなるほどに、より鋭さが、冷たく厳しい視線や鮮烈な感情が強まっているように思える点だ。淡々とした日常を描きながら、その中のほんのちいさな不安感や呟きが、まるでその世界全体を覆う氷のように瞬間感じられてしまう。あるいはほんのちいさな言葉や仕種が、気持ちの向かう所を大きく変えてしまうイメージとして立ち現れる。
『スケルトン〜』収録の「雪みたいに降り積もる」から始まる3作はまさに1つの言葉やシーンが関係をすべてくるんでしまうような構成だし、表題作や『Yesterday〜』では「乙女ゴコロ」と帯にも書かれたその作中の空気感のところどころにすっと、寂しさや気持ちの揺れが差し込まれる(『Yesterday〜』の92ページの台詞、「誰かにそばにいてほしいなんて 言っちゃいけない気がするの」と呟くシーンは、その最たるものだ)。それらの多くは(絵柄の特徴とも重なるのだけど)必ずしもストーリー的高まりや、大きく華やかなコマや表情として描かれるものではない。むしろ物語と同期しない感情を描くことで、わたしたちの日常のなかの不安定な、偶発的に生成される感覚をそれそのものの鋭利さとして掬い上げる。
 池澤夏樹の短編「ヤー・チャイカ」に出てくる、体操競技を練習する少女の話を思い出す。平均台を練習する時、まず最初は床に台と同じ幅の線を描き、その上で技を練習する。その次に少し高い台で練習して、最終的に本番と同じ高さの台に移る――。ちょうど前述したこととは、「高さ」と「リアリティ」の関係が逆転しているのだけれど、そう考えると岩本作品では、地上の「リアル」では取るに足らない、特に語る必要もないと思われる感情や出来事が、その高さを変えることで、全く別の重要性・致命性を帯びてゆくことを示しているように思える。
「ふわふわ」はふわふわであることで、地上に在ることの確かさをいったん失ってしまう。その「確かさ」が濾過していた名付けられない不定なもの、気付かず目に見えなかったものが、そのままの形で通されてしまう(『天狗』で秋姫に見える物の怪たちも、それを象徴しているのではないか)。岩本ナオはその一つひとつを捨てずに丹念に検討することで、わたしたちが本当はみんな地上ではなく、それぞれ別の感情や物事を根拠とする別々の不確かな「リアリティ」、別々の「ふわふわ」の高さにいること(たとえ同じ4階をめぐった少女と少年でも!)を突き止める。その認識はとても寂しくて、けれどもその別の階層の2人が偶然に感情を交換することの詩的な希望を持ち合わせていて、まさにわたしたちが岩本作品から受け取る印象と同値だ。


 はたちの頃書いた小説の、ラストは町に雨が降りはじめるシーンで終わる。空から4階を、4階から地上を突き通す線のように降り続ける雨、そこではあらゆる高さが等価で、そして初めてふわふわのリアリティは地上の、唯一の地上と思っていた「リアリティ」ときっかりと重なり合う。雨のような鋭さが、4階を、それぞれの高さをめぐるわたしたちと、地上の高さから逃れられないわたしたちを繋ぐために、その鋭さが必要だ。


町でうわさの天狗の子 1 (フラワーコミックスアルファ)

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Yesterday,Yes a day (フラワーコミックス)

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