もう今日になってしまいますが、10/16の関西コミティアに参加します。
既刊の麻生みこと本を持ってゆきます。またそれ以前の本・ペーパーも閲覧用見本として持ってゆきます。
既刊の詳細は http://www.girlscomic.net/ をご確認ください。


またペーパーを持ってゆきます。A3両面刷り。
特集は、二宮ひかる「ダブルマリッジ」についてです。
↓こんな感じの前文です。



 2011年の夏は、わたしたちの少女漫画、わたしたちのラブストーリィを語る上で、ある種のターニングポイントとして後世語られるかもしれません。


 9月7日、いま最も人気のある女性アイドルグループであるAKB48についての小さなニュースが報じられます。「恋愛の統一ルール作成へ」。アイドルとして「(両思いの)恋愛禁止」を掲げるグループが、ブログの記述や写真の流出をめぐるスキャンダルが頻発したことを受けて、禁止基準に統一的な見解を作るという内容。「プリクラなら、構図など、詳細に基準を設けるものとみられる」。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110908-00000006-dal-ent
「恋愛禁止」自体への言及は措くとして、「恋愛」の正否にデジタルな基準を設けるという意識が、わたしたちにとってはむしろ想像もしなかった、衝撃的なことでした。何が恋愛で、どこまでは恋愛でないのか、そこばかりを飽きるほどに執拗に描き語り続けてきたのが、そしてうやむやにし続けてきたのが、わたしたちの少女漫画ではなかったか。
 2011年夏以降、あらゆるラブストーリィは、描かれるコマの構図や会話の単語要素を、「統一ルール」と比較され重ねられることで、それが「恋愛的」であるかどうか常にモニタリングされうる状況に置かれます。まるで伝統芸能のように、キャラクターと読者の心の揺れのあわいにかすかに存在したもの、「統一ルール」はそれを脅かす黒船となるかもしれないし、あるいは大きな変革を、近代化を駆動するものとなるかもしれません。


週刊漫画TIMES」八月十九日号(芳文社、2011/8/5発行)より、二宮ひかる「ダブルマリッジ」は短期連載を開始しました。8月の4週分、計約100ページの掲載の後、続きは今冬開始予定となっています。それまでヤングアニマルヤングキングアワーズなどの青年誌で、独特な観点をもったラブストーリィを描いていた漫画家。いわゆる「オヤジ誌」への初登場、週刊誌連載ということで、ファンは大きな注目を寄せます。「ダブルマリッジ」が連載第一回で示した設定・コンセプトは非常にシンプルでした。
民法改正により『重婚法』が可決。施行されれば二人の配偶者を持つことができるようになる」 

物語は妻のいる男と不倫相手という、オーソドックスな組み合わせを軸に始まります。けれどもこの設定は、それまであったあらゆるラブストーリィが基盤としていたものを、わたしたちが自明としていたものを、大きく突き崩します。そしてそのわずか100ページに現れる台詞やモノローグは、その「革命」について非常に自覚的かつ挑戦的です。例えば2話p156、不倫相手との「重婚」を考える男とそれを批判する同僚の会話。
「結婚は…本人たちの意志によりするもので… 他人にとやかく言われる事では…」
「他人!! いま他人って言ったな! 今のセリフをそのまンま嫁さんの前で言えますか!?」
 単婚世界では、極端には自分と相手以外のすべては他人、と区切ってしまうこともできる所を、「ダブルマリッジ」ではその前提が崩れます。わたしとあなたではない、けれどわたしの他人ではない存在がラブストーリィにおいて挟まりうる。それは多くのラブストーリィで宣言される、「二人の想いこそが唯一至上のもの、優先されるべきもの」という原理を無効にします。
「ダブルマリッジ」は、もちろん作品としてはまだ「起」の段階です。この後作品がどのように転がるのか、「革命」が成功に終わるのか、あるいは全く的外れのものとなるのか、当然予想はできません。だからわたしたちは、この「起」の段階で過大な期待を背負わせます。今だからこそ、100ページが示す遠大な未来を、目をみはるような転換を、妄想することができます。ラブストーリィという、物語の原初からあって、もはや錆び付いたかのように見え語られる機構に、もういちど夢見ることができます。


「Girls' Comic At Our Best!」別冊ペーパーは、二宮ひかる「ダブルマリッジ」についてのものです。そしてそれは創刊号で宣言したように、またその後の号と同じように、ラブストーリィ少女漫画とはなんであるのか、という問いに常に帰着します。繰り返すと、2011年夏、わたしたちの話題はいつものようにそういう所を廻っていました。