2ヶ月

はてなを始めて2ヶ月経ったので、1ヶ月目(id:sayuk:20030919#p1)にも同じことを書いたのですがもう一歩踏み込むことにします。
この項で書くことはあまり気分を良くするものではないので読まないことをお薦め…と書きたいんですが、自分でアップしておいてそういうことを書くのは不誠実な気もしますし、読む人の気分などを初めから勝手に推測して規定するような権限もあるとは思えないので困っています。「困っている」ということだけをとりあえず書きます。
どういう順番で書けば良いのか分からないので思いつく順に書くことにします。また、ここの記述は数ヶ月先に考えた上で消去するかもしれません。





この日記は何度も書いているように非常に個人的なことばかりを書いていますが、それはこの日記を始めた最も主要な理由が「個人的なこと(状況)を個人的に捉え直してみる」だからです。現在やかつて考えたことや感じたことから選択して書くことは、id:sayuk:19010102#p3の「この日記について」にもあるように、別の言い方をすれば「治療」です。
2ヶ月日記を書いてきて、さらに先月からカウンセリングを受けていてやっぱり感じることは、書くこと(話すこと)それ自体が治療だというようなことで、またこれまで自分はあまり話して(書いて)こなかったのではないかということです。受け取る側にとってどうなのかは僕には推測できないのですが、この日記で書いてあることは自分にはまるで汚物を無節操に周りにぶつけて発散しているのではないかみたいな怖れがあって、その場としてはてなダイアリーを選んだのも、Googleランキングが高いとかキーワードがあるとかの「ぶつけやすい」場を無意識に選択したのかもしれません。そういう意味で最近、この日記は読んでいる人を悪質に利用しているのではないかと考えることがあります。
「一歩踏み込んで」書くと、僕は半年ほど前に仕事を辞めてから現在までほとんど外に出ることがなく、引きこもりを続けるまま人に会うこと話すことも全くしていません(会社にいた最後4ヶ月程もそういう状態だったので実質1年でしょうか。この一月は家族とカウンセラーとのみとは会い、会話もしています)。「悪質な利用」と書いたのはそういう意味で、話すことが出来なくなった自分の発散のために他人を利用しているのではないかという危惧です。id:sayuk:20031006#p1でも書いたのですが、「フェミニズムオタク文化について偉そうに語る日記ではない」というのもその通りで、なんかコミュニケーションとか恋愛(ストーリー)とはとかで偉そうに書いてるように見えますが(出来るだけ「個人的」に限って書いているつもりなのですが)いちばんそういうものを理解していないのは自分自身で、なぜそうなのか、どうすれば取り戻す(というよりは自分の中で新しく構築する)ことができるのかをぐにゃぐにゃと考えつづけているのがこの日記なのでしょう。
アクセス数だけが問題ではないんですが(問題にするほどのアクセス数でもないんですが)、それでも結構前にやっていた日記の20倍くらいのアクセスがあるとちょっと怖くて、id:sayuk:20030928#p1で「この日記を読んで戴いている方は何が面白いのか」とか(反則に近い)問いをしたり、id:sayuk:20031006#cで「一般的な批評・論説サイトを期待している人にはちょっと残念なサイトかも(でもそちらを向くと目的が変わってしまう)」と書いているのもそういう「利用」という意識があるためです。「そんなことはない」なんて返答を期待している訳ではもちろんなくて、そういう罪悪感を抱えながらそれでも思考なのか汚物なのか分からないものをぶつけ続けるのがこの日記なのかもしれません。
こういう「踏み込んだ」話をまたするのかどうかは分からないですが、「悪質な」点はもういくつかあって、1つはこの「治療」がカウンセラーとの対話と違って自分の好きな問題だけを取り上げていることで、つまりこの日記上で総合的なカウンセリングを受けたい訳ではない(2つのカウンセリングを同時に受けても混乱するだけなので)という点だと思います。もう1つは、これは前のカウンセリングでも同じような話をしていたのですが、例えば会う人会う人全てに初対面や少し知り合った段階で自分のトラウマについて話したりするでしょうか? ここでこうやって「踏み込んだ」話をしているのは結局そういう相手との距離感を無視した暴力的な行為のように感じます。僕は今まで日常生活でもあまりしていなかった「個人的な話」をすることがそういう暴力的な様相を持つと感じていて、対人ではない日記上という場ゆえに僕はそういう暴力性を意識しつつ振るってしまうのです。
そういうわけでこの日記はこれからもcommunicationとかconfusionとかについてぐにゃぐにゃと考え続けるはずで、今まで書いてきたことも非常に気持ち悪いと感じられたかもしれませんが、それはそもそも個人的な状況と無関係ではないことを話し続けること自体が気持ち悪いからだと思います。ただそういう気持ち悪さをいったん受容しないとこの日記は書き始められなかったはずで、そもそもそういう気持ち悪さをこれまで引き受けてこなかったことが現在の自分の状況を作っているのかもしれないとも考えていたりします。だから恐らく気持ち悪がられたり嘲笑されたりすることこそが、この日記の目的とする「治療」となるのでしょう。
現在はまだちょっとどう進めてゆけばいいのか分からない状況で、カウンセリングとこの日記の「治療」でなんとか少しずつ精神的に上昇しているような状態だと思いますが、その「語ること」自体についても試行錯誤しているような感じです(なので、やはりこういう不安定な文章は時々現れてしまうかもしれません)。そういう意味でこの日記を読んでいる・コメントや言及を戴いている方々には感謝してもし足りないです。


ちょっと反則的なことを書きますが、id:sayuk:19010102#p3には回りくどい言い方で記してありますが、「はてな」上での僕は「はてな」以外での知り合いは想定していないような立場で「はてな」活動をしています。それは避けている訳ではなくて、実際にコメントなどを戴いたり引用をしたりもしていますし、その際は誠実に対応をしているつもりです。そういう立場を取っているのは、自分の現状のようにコミュニケーションを喪失した(引きこもりの)状態から再構築しようとぐにゃぐにゃと考えている状態で、新しく選んだ「はてな」という場でそういう「知り合い」との遭遇を果たしてしまうと、強度の依存をしてしまったあげくに再度元の状況に陥ってしまうのではないかという怖れがあるからです。初めにも書いてますが、自分の状況を分析するために「かつて感じたことや考えたこと」を出来るだけ客観的に捉え直したいのです。
ここからがルール破りになりますが、この日記を読んでいる「知り合い」の方は少なからずいると僕は感じているのですが、完全に元の状態には戻れないかもしれませんがなんとか出来るだけそういう状況にしようとは考えています。この日記自体が不誠実な態度に見えるかもしれませんが(というか、この日記がどのように捉えられているか全然分からないんですが)、そうだとしたら本当に申し訳ないです。(たぶん、こういう言及は今後はしないと思います。今後もこの日記はだいたい今までのような感じです)


なぜこういうことを記述するかというと、弁護してもらいたかったり弁解したかったりするわけではなくて、書いておかないと今後日記を続けてゆくことができないかもしれないという強い予感があったからです。2ヶ月の間にこの日記の目的や方向性は何度も見失われているのですが、やはり書いている自分自身の立場のようなものを明示しておかないと同様の迷走が(次の回は致命的に)起こるかもしれないと思い記すことにしました。何度も書いていますが、いわゆる一般的なテキストサイトや批評サイトとはこの日記の文法は決定的に違っていて、それを僕自身いつも忘れそうになるし読んでいる方にも伝え切れていないという不安感がずっとあるので、このような唐突な記述の挿入になるのだと思います。いわば常にこの日記は危篤状態にあるのかもしれません。