「僕はかぐや姫」が問題になるのなら、「ボクの憂鬱 彼女の思惑」が問題になってもいいはず!

内容(「BOOK」データベースより)
ボクは山中美奈、十八歳。四人姉妹の三番目。女の子なのに自分のことを「ボク」ってよぶのは、ボクが一卵性双生児の片割れだから。いつも隣に、同じ顔をして同じ服を着てお揃いのリボンまでつけた妹の美穂がいるという状況では、ボクが自己主張しなければボクはボクとして認めてもらえない。で、「ボク」とよぶことにしたのだが、ボクの前に予備校生の本多が現われて…。

これも元は1990年に出たんだ。
あとは大元までたどると中沢けいとかなのだろうなあ。




追記してみる
中沢けいの名を出したのは、もちろん小説「海を感じる時」のもあるけど、中沢けいという作家自体が、ペンネームにしても外見(といってもいくつかの写真しか見たことはないけれど)にしても、「僕はかぐや姫」の登場人物のルーツといえるのではないかと思ったため。ちょうど自分が「僕は〜」を読んだ頃、中沢氏の写真をはじめて見て、その中性的で凛とした姿にひどく感銘を受けた覚えがある。
1978年(という年を僕はとても神聖視しているのだけど)に中沢けいが「海を感じる時」で書こうとして書けなかった部分を、同世代の松村栄子はその12年後にやっと書くことが出来たのではないか。「僕はかぐや姫」が松村の学生時代=1978年を書いたのか、それとも作品が発表された1990年を舞台としたのかという問いはあまり意味がないのだけど(だってそれは普遍だから!)、そういう意味では「僕は〜」は新しかったし、それが新しく感じるくらいにその12年は停滞していたとも言える。
ていうか言いたいのは、sayukのk=中沢けい(というのはちょっと本当かも)
あと調べたら「海を感じる時」って最近新風舎から再版されてるんだ!