ミッフィーちゃん

「こういう人いるいる」とか「じぶんの中にもこういう面あるある」と言ってしまうのは簡単なのだけど。
よく、チェルフィッチュの台詞は「現代の若者的な会話」って言われるけど、よくよく考えるとほとんど「会話」していないんですよね。ところどころ相槌は打つけど、何かを話して、それに応えてというのが成立していない。それはそれで現代的なのだろうけど。
あと、最初観たときおもしろいなと思ったのは、結局は俳優と役が結びついていないこと。自分の役のことを話していると思ったら、「と○○は」と一段離れた視点になったり、別の人の話になったり。
「こういう人いる」というのは前者で、話し続ける俳優をそのそばでただ、会話するでもなくなんか変な身体の動きをしながら佇んでいるもう一人の俳優の視点をとることで、「こういう面ある」ってのは後者で、話しながらときどきふわっと語りのレベルが浮き上がるその瞬間にあることで、だからすでに「こういう人いる」も「こういう面ある」も芝居の手法のなかに批判的に組み込まれていて、ほんとうにその感じ方でいいの?と問いかけてくる。ような気がする。