「天使のいない12月」(Leaf)(2)

天使のいない12月」コンプしました。メモ書き程度に感想。
全体的に反「癒し」、非「奇跡(永遠)」、かつ非鬱系なのが面白かった。前2つを取るとどうしても鬱系になるのが今までだったのだけれどそれとも違う。ハッピーエンドかどうかがよく問題にされるけど、ハッピーを積み重ねないとハッピーエンドになれなくて、ハッピーエンドでないものはヒューマニスティックな物語ではない、みたいな「幸福強迫症」(「恋愛至上主義」にもそれは近い)的なものに対するアンチテーゼを「天使〜」は示しているのかもしれない。必ずしもハッピーエンドの過程はハッピーの連続でなくてもいいし、唯一の目標地点があるわけでもないという意識。あともう1つはid:sayuk:20030929#p1の「傷つかない意志」みたいな所かなあ。
透子・しのぶルートは「体の繋がりだけが本物で、心なんて決して繋がらない(でも繋がろうと漸近する気持ちだけは確かにある)」みたいな話。両者がちょうど裏表になっていて、透子ルートは性愛をはっきりと「幸福」としている一方、しのぶルートは性愛が「もともと汚れている私達の贖罪」みたいな感じ。特にしのぶルートのラストは主張がはっきりしていて、「それでも永遠に平行線を辿る道筋は、不思議と悲しくも怖くもなかった。/いまは、かすかにふたりの指先が触れ合っているから。/それは決して握ることなく、だけど離れることなく、ずっと……。」みたいな文が出てきたり(id:sayuk:20030915#p1で引用する「Papa told me」のネームにも似ている気がする)。ていうかこれって僕が高校生の時に楠本まきとかピンチョンとかを読みながら考えていたことにすごく近くて、「癒し」って言葉が根本的に嫌いなのもそうだし、日記の「close/cross (close, not cross)」って語ももともとそういう意識だったりする。「癒し系」とかいう安易な温い「交差」じゃなくて、はじめから不可能なものだとは解っていて、それでも繋がりうるかもしれないと望んでしまう「漸近」。
雪緒ルートは「彼岸(死の側)にいる人との遭遇」みたいな斬新でもないけどそれなりのテーマ。ラストは実は奇跡的だったりするんだけど、この程度ならいいのかも。明日菜ルートは……何でしょう、「完全で正しい恋愛ではなく不安定で壊れやすい関係をそれでも続ける」みたいな? この辺も、全ての関係や感情を正しく清算した上で祝福されるハッピーエンドを、みたいなかつてのラブストーリーにあった強迫感に抗するものだと思う。
ただ最悪なのは主人公(というか地の文)で、今時これはないだろ的な虚無主義はともかく、地の文で過剰な自意識振り回してさらに虚無に進んでも面白くない。月姫の遠野くんみたいな、虚無主義だけどあんまり自意識強くなくて(優しげで)実はほんの少し本人も知らなかった希望がある、みたいなキャラが「結果として」こういうエンドに進む方が良かった(というか、月姫のトゥルーエンドは良かったという単なる月厨)。