傷つけない性・傷つかない意志(1.5)(メモ?)

id:sayuk:20030929#p1の話ってよく考えると、ファウスト系作家(西尾佐藤滝本あたり)の作品に関係しそうと思ったり。西尾維新戯言シリーズ)なら、哀川潤=傷つけるその場で次々治癒してゆく(「傷つける/傷つけない」の2項に対し「超越的」)、玖渚友=既に傷つけられた&もう傷つけられないからこそ他を無邪気に傷つける(「背反的」?)、いーちゃん=「傷つける可能性」への不安自体が傷つける可能性となる(「困惑的」)、みたいな感じ? かなり適当ですが。佐藤友哉滝本竜彦も読み直して考えてみます。滝本の場合(他の作家もそうかも)、「傷つけない」以前にもちろん「傷つかない存在」という意識があるので考える際に注意が必要(というメモ)。id:ueyamakzk:20030923さんの指摘は非常によく解る。
ひきこもりと男性学(まだ作りはじめみたいですが。id:hikilink:20030926#p1さんより)。「ひきこもりが男性に多い理由」と「フェミニズムと男性性の異和」とは考えるべき関係がありそう。
(なんて考えながら借りていた『はじめて語るメンズリブ批評』(蔦森樹・編 ISBN:448779420X)読みはじめたら序文からいきなり「男らしくあれとの呪文は、その男性の等身大が男らしさの基準に満たなければ『身の丈以上の者』であれと要求する。/女性が女らしさの基準に満たなければ『身の丈以下の者』であれと求められるのとは異なり、男性は他人よりも成功し偉大であるのが当然という不断の圧力にさらされ、緊張する」なんて文が。これってid:sayuk:20030919#p2で言ってることと同じじゃない?
フェミニズム的意識はオンナノコもオトコノコも同等に持つことができていながら(実際に参画する性比はともかく)、オンナノコたちが抵抗したそのベクトル方向にオトコノコの抵抗する対象はなかった。あるいは同じ目標に向かうのでもその運動ベクトルが正反対だった。その辺の困惑をフェミニズムが修正できなかったのがその後の「オトコノコフェミニズム」(ていうか自分!)の迷走に繋がるのではないか。)