はてなとアクセス解析

はてなダイアリーには「アクセス解析」機能があります。下の「コメントを書く」をクリックすると一部が見られますが、アクセス数だけでなくこのページへどのようにして飛んできたか(リンク元、キーワードや検索語)が一目でわかる機能です。今まで僕はアクセスカウンタ付きのHPは持っていましたが、解析は付けていませんでした。はてなを始めてからその辺りのことが気になり始めたので、拙い頭で思いを巡らしてみます。哲学用語に長けている人はもう少しシンプルに説明できるのかもしれないですがその素養がないので、迂遠な言い回しになってしまうかもしれません。あと、一応書いておきますがこの記述はあくまで一般化されるべきテーマとして書いていて、僕自身が自分のサイトへのアクセスについてどう思っているとかそういう話ではないです。
リンク元」を見るとさまざまなURLがずらっと並んでいますが、それらが伝えるメッセージは簡略化すると1つ、つまり「見た」ということだけです。これを分解して5W1Hにしてみましょう。「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」見たかということです。(ただし、「リンク元表示の設定」を「最新の日記」にしている場合で考えています)
「いつ」については、はてなの場合毎日更新している日記なら±1日くらいの誤差で分かります。前述の設定だと、ある日の日記を登録してから次の日の日記を登録する間のアクセスについてその日の日記の編集画面に表示されるためです。
「どこで」はここでとしか言いようがないですが、これを「どこから」にするとまさにこの並べられたURLということになります(「どのように」と同じかもしれません)。これをおおまかに9種類に分類してみます。

  1. http://a.hatena.ne.jp/はてなID/
  2. http://d.hatena.ne.jp/はてなID/
  3. http://d.hatena.ne.jp/はてなID/comment?date=20030101
  4. http://d.hatena.ne.jp/はてなID/edit
  5. http://d.hatena.ne.jp/keyword/単語
  6. http://d.hatena.ne.jp/はてなID/keyword/単語
  7. http://a.hatena.ne.jp/map?何かURL
  8. http://個人サイトのURL
  9. http://www.google.co.jp/単語(その他yahooなど)

「何を」はその日記ですが、これは「最新のもの(更新されたもの)」か「過去の記事」の2種類となるでしょう。あるいは、「日記全体」と「一部の特定の記事」と言い換えてもいいかもしれません。
HowはHow manyとしてみると、これもリンク元表示に各リンク元からのアクセス数として出ます。ただし、ユニークアクセス(何人が見たか)ということになるとこれでは分かりません。
アクセス解析を見た際に、そのサイトの管理者が最も知りたいと思うのは「誰が」「なぜ」ということになるでしょう。つまりは他者の欲望を知りたいという意識です。はてなアクセス解析はこれらを非常に不十分な形で垣間見せてくれることになります。また、はてなが表現メディアなのか、コミュニケーションツールなのか曖昧な点も、その不十分さに関わっていると考えられます。先に「なぜ」として考えられるものを挙げてみましょう。

  1. そのサイトの読者
  2. 他のサイト(はてな及び個人)のリンクで来た
  3. そのサイトからリンクがあったため(あるいはリンクを貼ったため)来た
  4. キーワードなどはてなの機能で辿りついた
  5. yahooなどの検索で辿りついた

最後に「誰が」ですが、通常のサイトではこれは「特定できない誰か」と「特定の誰か」の2種類でした。しかしはてなの面白い所は、初めから1万人程度の「特定の誰か」の存在を想定できること、またその「特定の誰か」が非常に濃縮された状態ではてなコミュニティに存在している(と感じられる)ことにあります。言い換えれば「はてな村」があるということですが、比喩で言うなら例えば大都市の雑踏で知らない人にぶつかりながら歩いている時に、その雑踏の人々の一部(かなりの割合)の連絡先や趣味を書いた名簿を持っているような感じに思えます。電話も掛けられるし追跡もできる、また特別なパフォーマンスで相手が立ち止まるのを待つこともできるのです。では、逆に誰が自分に視線を向けているのでしょうか?
「どこから」の分類で考えると、はてなアクセス解析は非常に不十分な特定法と言えます。完全に特定できるのは2(8)と4、つまり「リンクを貼られた」際と「リンクを貼ったのを確認された」際です。上の例で言えば電話ということになるでしょう(ただし日記とアンテナを並置している際、2はアンテナの可能性もあります)。1の「アンテナ」はそのアンテナが公開されている場合、「誰が」がその人のみであるとは特定できないですが、かなりの確度で特定してもよいとは言えるでしょう。ここで面白いのは、はてなはアンテナと日記のIDが同じであるため、「見られる」ことを「見る」ことが別の「見る」に繋がってくる点です。パフォーマンスする側として視聴者の特定を欲求する位置から、見る−見られるのコミュニケーションの位置までの移行は非常に曖昧です。(さらには、アンテナの掌握は他者がさらに別の他者を欲望している状況も詳細に「見る」ことができて、この辺りも考え始めると面白いかもしれません)
5、9は単純な検索なので「誰が」は特定できない誰かですが、両者の違いはyahoo等の検索が「制御できない見られ方」なのに対しキーワードは「制御可能な見られ方」である点でしょう。検索は単純な欲望ですが、キーワードはどのような欲望を導くかをサイト側で欲望することができるのではないかと。3、6、7の場合は視線を特定できるともできないとも言えず(例えばキーワードの場合、本人が辿った、相手サイトを見た誰かが辿った、google等でhttp://d.hatena.ne.jp/はてなID/keyword/単語のページに到達した誰かが辿った、の3通り考えられます)、解析側は不満足な「特定感」のみを抱えることになります。
表現メディアかコミュニケーションかの曖昧さは、パフォーマンスする側がどのような視線を欲望するのかにも関わってきます。つまりは「何を」欲望されるかを欲望するということ。新しい記事を継続的に見続けて欲しいのか、ある記事に注目して欲しいのか、過去の全ての記事を読んで理解してもらいたいのか、その場ごとの話題への視線を欲望するのか、あるいは何でもいいから来訪して欲しいのか。どちらかというと、一部の記事への注目を欲望するほうが「表現メディア」としてのサイトに近い気がします。「なぜ」の5項目で考えると、1はつまりアンテナへの登録者で、表現メディアとしての視線に加えてコミュニケーションとしての視線を欲望されているように思えます。3は前述の比喩でいう「電話」で、コミュニケーションとしての視線に重なるでしょう。2、4、5は表現メディアとしての視線ですが、前述の通り欲望を導く欲望を振るえるかという差異があります。例えばあるサイトからある記事に言及をもらうことは、一方では「ある記事に注目して欲しい」という欲望を満たしつつ、しかし「全体を読んで欲しい」という欲望からすれば、視線を制御する欲望を振るえなかった、「望まなかった視線」ということになるかもしれません。
表にしてまとめてみます。「特定+不特定」はリンクを貼った人は特定できるが、他に来る人は特定できないという意味です。また日記とアンテナを並置している場合を除きます。

どこから
なぜ
何の記事を
いつ
誰が
何人が
制御
全体
更新日
ほぼ特定
多くは1人
一部(旧)が多い
相手の更新日
特定+不特定
多数
不可
一部(ほぼ最新)
更新日が多い
不特定
少数
一部(最新)
ほぼ更新日
特定
1人
一部(旧)
いつでも
不特定
多数
一部(旧)
いつでも
微妙に特定
(ほぼ不特定の場合も)
多数
全部
いつでも
微妙に特定
少数
一部or全部
いつでも
特定+不特定
多数
不可
一部(旧)
いつでも
不特定
多数
不可

キーワードを作成し辿ったり、「おとなりページ」を見てみたりという方法は例えばエキサイトフレンズのような特定の他者の視線を欲望する機能で、テキストサイトが不特定の多数の視線を欲望する形で発展していったのとは相違します。さらにはアンテナも、不特定の多数のブックマークという存在だったのが「日記」と連動して特定できるという構造で(しかもかつての、あるサイトに付随するリンクページと違って、アクセス解析に数字が出ることで「視線を受けている」という感覚があり、さらには編集ページからのアクセスと違って確実な特定ではないので、その感覚には常に一定の不安が付きまといます)、非常に特異なものです*1。アンテナ捕捉という「不自由なコミュニケーション」とでも言うべき機能から「アンテナ検索」や「おとなりページ」が出てきたことはだから当然で、かつてネット上に存在するかすら不安だった「ゆるやかな(視線の)繋がり感」みたいなのをはてなが(はてなコミュニティ内だけですが)可視化したのは面白いことかもしれません。
さらに考えると、エキサイトフレンズのような機能の場合、実際に欲望するのは特定の誰かではなく「まだ見ぬ誰か」という不安定に特定化された「誰か」です。キーワード・おとなりページともどちらかというとこの定義にしっくりくる気がします。そう考えると、はてなの場合「まだ見ぬ誰か」が「特定の誰か」に変化する過程がものすごく早く、さらにはその「特定の誰か」がこちらを特定する(視線を向ける)早さも大きく違うように思います。で、問題はその視線がこちらの欲望する視線となるか(具体的には言及やコメントしてもらったりアンテナに加わったり)で、はてなはweb日記のそういう一面(こちらの欲望する視線を欲望する)を特異にスクープしたものなのかも。
はてなの特異なシステムはユーザー間の新しい関係を発生させるかもしれません。ウェブサイトがばらばらに存在する状態だと、ある有名サイトが自分のサイトにリンクを張っていなくても別に何とも思いません。「テキストサイト界隈」みたいな「村」が出てきて初めてそういう感情が発生してくるのでしょう。はてなは初めから村的で、始めた時点から「村人」という認識を望む望まないに関わらずはてな内外から受けているような気がします。他の日記システムと比べても、リファやコメントの簡便さやリンク元表示、キーワードなどでそういう感情が発生しやすい場をはてなは作っていると言えます。ある種の嫉妬、優越感、仲間意識、排除などはもちろん他の日記システムや「村」にもありますが、それが個々人のレベルではなく普遍的に、さらに個々人の意識に関わらず発生を認識されてしまうような状況にはてなは既にあるのかもしれません。(例えば、id:sugioさんの作成された「東村」マップ(id:sugio:19000312)なんかはそうなのかも)
欲望欲望言ってますが、ラカンとか全然ちゃんと読めてないのでたぶん精神分析とかの話とは全く違うと思います。そういう手法で分析する人がいたらきっと面白いでしょう。今回の文ではまだ不十分に感じるので、この辺の話はまたもう少し詳細に考えてみるかもしれません。(というか、もうちょっとネットとか欲望とかに詳しい人に分析して欲しいです)

*1:アンテナとブックマークを比べると、隣の高校の男子の間で自分の人気があるって聞かされるのと、同じクラスの○○君が自分のこと好きらしいって聞かされるくらいの違いがあるような気が。他の高校からだと漠然とした感覚しか沸かないけど、クラスだと別にその○○君にそれまで興味が無くっても気にしてしまうとか。あと、なんとなくネットゲームやアバターに近いものをはてなのシステムには感じます。