コスメと「かわいい」の層

11/9放送のTBS「ランク王国」で「モテない女の子の理由ベスト10」を渋谷の女性100人とかに聞いていて、結果はたしかこんな感じ。(順序や項目に間違いがあるかも)

  • 理想が高い
  • 暗い
  • わがまま
  • 積極性がない
  • 裏表が激しい
  • 自分を磨いていない
  • 女の子らしくない
  • ぽっちゃり
  • ぶりっ子

重要なのはこれが同性に聞いたアンケートということで、「好きなタイプランキング」ではなくて、自分たち自身で好かれる(嫌われる)と思っている項目を挙げていること。だから『Papa told me』の有名なテーゼ「かわいいには可愛がられるかわいいと可愛いかわいいがある」にはちょっと穴があって、いわば「可愛がらせるかわいい」ということにこのアンケートはなるんじゃないかと。(もちろん、この項目自体はあくまで偏ったサンプルから得られた一例に過ぎないけど)
コスメが一部のフェミニズムから糾弾されるのは、それがまさしく上でいう「可愛がられるかわいい」に見えるからで、かといって知世ちゃんが言うような純粋な「可愛いかわいい」にはコスメは多分ならない。そこがコスメと服飾ファッションの違いで、服がたとえばハンガーの上やショップの店頭に在る時のような「かわいい」をコスメは持ち得ない(せいぜい、パッケージや宣伝がかわいいと言うくらい)し、服飾が見られる輪郭と着る輪郭(外部から象られる輪郭と自ら発信する輪郭)を分離できるようには、コスメはそのあたりの境界を引くことがしにくく曖昧になってしまう気がする(もちろん服飾自体、他に比べるとその分離は非常に難しいのだけど)。例えばファッション誌を見ても、「着こなし術」みたい記事と「メイクアップ法」みたいな記事で、「この着こなし(メイク)が可愛い!」とされるその「かわいい」の「貼り付いている」層(輪郭)に違いがあるような感覚を受ける。あくまで印象なので、実際に両者を行っている人はそのあたりの差をうまく処理しているのかもしれない。
コスメを面白いと思うのもその辺りの、「かわいい」の「貼り付いている層」の違い。「可愛がられるかわいい」と「可愛いかわいい」が断絶している状況に対して、美の価値判断上で常に「可愛がられる」と「可愛い」が衝突し揺らぐ状況はより発展性があるのではないか。審美される立場を全拒否するのでなくて、「美は誰が決定する美なのか?」というのを問い直して、自ら審美の基準を変えてゆく力が「コスメティック・フェミニズム」(もしそんな思想が存在するとしたら)にはあるのでは? それはid:sayuk:20031113#p1で述べた、三位一体構造を超えたコミュニケーションとしてのコスメとも通じていて、そんな感じでコスメとフェミニズムの融和があるのではないかと考えていたり。
(そもそも、「可愛がられる」あるいは「可愛がらせる」となった瞬間に、その相手が必ず男性となっていた状況、言い換えれば女性を審美するのは常に男性であった状況がはじめにあって、それを少しずつ変えていったのがフェミニズムの功績なので、単純に美容やコスメとフェミニズムを対立していたように見て取るのもまた問題なのだけど)


追記。手元にあったmina2001年No.13の記事「女にモテる女33の条件」がまた面白くて、普通こういう記事に想定される精神論に加えて「ヘアスタイルはキュート系ショートボブ」「やさしげ女顔&涼しげ男顔にパッチリ目元がモテる!」(おすすめマスカラ付き)などファッション・コスメ視点からも捉えている。この辺にも、コスメの「かわいい」とは何か、つまりはコスメに貼りついていた「誰に見られるのか?」という意識が、かつての「可愛がられる」か「可愛い」の2択だった状況から解放されてより柔軟になっている気がする。同記事の「『かわいい』と『やりすぎ』の分かれ目はどこ?」という部分から引用してみる。

リップ:アイメイクが中心の今のメイクでは「真っ赤や黒系のリップはやりすぎ」「ピンクやベージュのグロスだけで十分」との意見が大多数。セクシーすぎないナチュラルリップが好印象。
まつ毛:いくら大きな目になりたいからって、「つけまつ毛はやりすぎ」。ベストは、マスカラで2,3度塗りしたまつ毛。

うーん、つまりは「『かわいい』の話者は誰なのか?」「『かわいい』の指示対象は(輪郭の)どの層なのか?」みたいな問題を考えてるのかな? よく判らなくなってきてます。