健全な身体/長野まゆみ『夜啼く鳥は夢を見た』(ISBN:4309006205)

http://www.asahi.com/health/life/TKY200309100240.html について、id:chidarinn:20030911#p1さんの妄想(と言いつつ的確な批評)がとてもステキ。
(以下はあまり↑の話と関係なくなってきますが)
「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉はつまりは、健全な身体を持てなかった僕達には決して健全な精神は獲得できないという意味で呪縛をしていて。肥満体は「理想された輪郭へ向かう緊張感の欠如」とするあの(海の向こうの)言説は、でも初めからその輪郭に足りなかった身体は何を持てばいいのか、という困惑を植え付けるだけだった。「痩せようと思わないことも一つの死なのかもしれない」なんて「Papa told me」の台詞で嘯けるのは結局は(痩せ続いたままの僕達ではなくて)、健全な身体とその健全さを捨てた理想する(理想される)輪郭とを行き来できるオンナノコだけだったのかもしれない。
長野まゆみの初期作品では『夜啼く鳥は夢を見た』がいちばん好きなのだけれどそれは多分本文でなくて挿絵にあって*1(あるいは楠本まき「KissXXXX」もそうなのかも)、あのぞっとするくらい病的に細い脚の描線に感じたのは、「まだ削り取る余地がある」という安堵だったのかもしれない。健全な身体も理想される輪郭も超えて、健全な(健全さを求められた)精神からの忌避としての「理想する輪郭」に至る少女の意志(それがフェミニズム的であってもなくても)は、あの挿絵の上でようやくオトコノコにも重ね合わせることが出来て、だから(10年前ではないid:sayuk:20030908#p1の話を続けるならば)健全な精神から拒否されたいくばくかのオトコノコたちのために、(マッチョへの不毛な持続的意志でもその挫折でもない)あたらしい輪郭、「輪郭すること」を与えるあの作品のようなものがまた必要なのかも。(ただ長野まゆみの読者層を見ると、そもそもオトコノコにとってそんな作品は「なかった」と言われるかもだけど*2

*1:って逆に作品自体は、輪郭がなくなってゆくこと(を忌避する/受け入れる)の話だった。『野ばら』から『天体議会』に至る数作は内と外とか身体とか記憶とかをそれぞれ別の視点で切り取ってるので、もう一度評価してみてもいいはず。

*2:そういえば小川洋子松本侑子もその頃? 長竹裕子とかいなかったっけ。