オトコノコのフシギ

id:tskmry:20030914#p2さんより引用。

オトコノコってどーしてヲタクになってまで、一般人のオトコと同じ愚かさ滑稽さを捨てられないのかしら・・・と、さいきんのid:motidukisigeruさまとid:hazumaさまをめぐる一連の騒動を拝見してて思うきょうこの頃。ヲタクとは「××が嫌い」(学校がキライとか誰ぞやがキライからA×Bのカップリングはキライまで)という不毛な主張を捨てて、それぞれ「××が好き」だけを表現することによって相互不干渉で上手くやってきましょ、ってコミュニティなんだと思うけどなー。

男性側からジェンダー的な話をする場合、ここでいう「愚かさ」については机上では簡単に語れるのだけれど、実際にはなかなか分離しにくい。僕自身でもそういう諍いの場に(直接当事者ではないけど)居合わせた時には(例えば理不尽にキレてる男の子に対応するとか)、自分のオトコノコ的な解決の方向性を選択していることに気付くのが遅れることへの嫌悪ももちろんあるのだけれど、同時にオンナノコ的な「諍わない厭らしさ」(例えば腫れ物に触るような対応とかね)に直面してしまって、何というかどちらかの性ではなく両性不信のような状態に陥ったことがあった。そのときに遭ったのが(やはり当事者とは少し離れた)先輩の女性の言葉で、ちょうどその「オトコノコ的愚かさ」と「オンナノコ的厭らしさ」に挟まれていた自分を(解決でも救済でもなく)突き刺すようなその言葉はむしろ僕が発したかったものだったので(その頃入江紀子にハマっていた身としては、入江紀子的な台詞にまさか日常生活で出会うとは!とかなりの驚きだった)めちゃめちゃ悔しい思いをした記憶がある。そんなわけで僕は決定的に年上萌えになったのだけれどそれはどうでもよくて、男性的なものに抗する態度を男性が取るという矛盾(というか、それが「矛盾」となること)は別に言葉遊びでもアンチ・フェミニズムなものとも関係ないレベルで遍在していて、(自分も含む)机上からようやく外に出始めた辺りの人は簡単にそれにとらわれてしまうのではないか。
特に僕みたいな、ジェンダー決定をてきとーにしたままぐにゃぐにゃしている人だと、そういう困惑に出会うことは多々あるのかもしれない。あの歌詞に従うなら、オトコノコの気持ちは意識的にトレースしないようにしたために忘れて(忘れたふりをして)しまって、かといってそれが「オンナノコの気持ち」を知るためのチケットになるわけでもないのだ*1。錯誤したフェミニズムのようにどちらかの性(に現実上属しているもの)を完全に否定する訳にもいかないはずで、その辺りどう解消しているのか気になったり。自分の場合は前述の言葉を魔法のように唱えて対応することにしています。

*1:喪失をネガティブ、獲得をポジティブと考えるのは男根主義的だ!とするのはどうでしょう。ダメです。あるいは、オトコノコともオンナノコとも乖離した新しい愚かさや厭らしさを獲得して披瀝すれば勝ち? やっぱダメ。