また補足(共感するコミュニケーション)

ARTIFACTさんより引用すると、

最近、よく見かける「○○系オタクチェック」というのは、設問を作ることによる自分語りのツールだと思っているんですが、男性オタク文化の中でも、何がオタクなのかわかりにくくなってきたから規定を作りたいという衝動があるのではないかと考えてます。

規定する=「峻別化するコミュニケーション」*1。と、id:sayuk:20030922#p4で言う「共感するコミュニケーション」の違いなのかなと考えたり(自分語りというのは全くその通りなんですが、というかこのダイアリーは延々自分語り日記なんですが、それがどこへ向かうのかという点について)*2。自分がアンケート(id:sayuk:20030920#p2)を作った時には(あるいは答えた時も)、「これが◎ならオリーブ少女で×ならオリーブ少女じゃない」みたいな規定ではなくて「こういう感覚わかるわかる」的な共感の反応を期待したのだと思うけど、他のアンケートを見るとそういう規定を目的とするのもあって、このアンケートもそういう風に見られてるのかもと思いました。
回答を見てから点数の意味を考えたのですが、8-10点以上なら十分に「高い」点だと思います。そしてこの点数はあくまでオリーブ少女かそうでないかの指標ではなくて、というか各設問に対して共感にしろ違和感にしろなんらかの感情を覚えた人オリーブ少女で、逆に何のことか分からない、どれもどっちでもいいと思う人は違うのかなって感じ。
(追記というか思ったこと。電子の運動のように、まっすぐに理解=分析=規定しようとするとすり抜けてしまうようなもののために、共感という語り方は生まれたのかもしれない。だから、アンケートみたいな形で「理解」しようとしてしまったこのダイアリーは永遠にそこに漸近=close, not crossするだけなのです。でももしかしたら、「共感」自体が漸近する形のコミュニケーションなのかも?)*3

*1:峻別化の行く目的地として、id:sayuk:20030913#p3に書いた「マイ国家」ならぬ「マイオタク」化も選択肢としてあると思いますが。

*2:もっと言うと、オリーブ少女なんて僕の中にしかない(=峻別化)もしくは僕と誰かの共感の中にしかない。こんな本ISBN:4331509060(今日知ったのだけれど)の中には多分ないはず(もちろんこの日記の中にも)。ということなんでしょうか。

*3:またもや思いつきだけど、90年前後の状況に対して岡崎京子は「分析」的で、逆にひうらさとるは「共感」的に描いたのではないか。だからオリーブ少女(元、も含む)に『東京ガールズブラボー』を薦めるのは全く間違いで、『レピッシュ!』『月下美人』の方がずっと良いはず。もしくはいっそ『がじぇっと』(衛藤ヒロユキ)とか。それにしては80年代の漫画話してる文章って、もはや陰謀かと思うくらいにひうらさとるの名が外されてるんだけど。下のコメント(id:sayuk:20030921#c)にも書いたんですが、少女漫画について考えてしまうと、岡崎京子の停滞がそのまま少女漫画の停滞のように感じてしまう現在の読まれ方はやはり不健全で、岡崎京子の介在しない少女漫画(さらにはオンナノコの「思想」)の進化の歴史を提示しなくてはいけないのかなと考えているのです。