ちょっとここ数日のまとめ。

ここ数日のこのダイアリーの記事について、言及・コメントなど戴き(またアクセスも増えていて)非常に嬉しいです。おおまかに纏めると、

  • 嶽本野ばら氏の作品と「オリーブ少女」的認識の相違点について。試作アンケートで「オリーブ少女」に対する認識の誤差・広がりを見てみる。(カテゴリ[olive]で纏めました)
  • オタク文化や新しいオタクカテゴライズについて(個人的な過去話多数含む)。男子オタク文化と女子のそれとがある時期から重ならなくなっていないか。(もともとid:saCLA:20030920#p3さんの指摘ですが。カテゴリ[otaku]で纏めました)

こんな感じでしょうか。「非野ばら系オリーブ少女の特徴」アンケート(id:sayuk:20030920#p2)についてはまた後で興味深かった回答を纏めたいと思います。(Sugar Free Daysさんからも回答戴きましたー。)
ところでこの日記はバックナンバーを読み返せば分かるのですが、フェミニズムジェンダー論的な話を多くしていて、特に漫画や小説、音楽やファッションなどのサブカルチャージェンダー論的な解釈で読んでみるという試みをしようとしています(ただid:sayuk:20030913#p1にあるように、実はフェミニズム自体を突き詰めようとはしていないっぽいんですが)。今回話題になった「オリーブ少女(と嶽本野ばら)」や「少女オタク文化」にしても目的地としてはその辺りを考えているのだけど、それは自分がラディカル・フェミニズムの言う「個人的なことは政治的なことである」という言葉をたぶん誤解していて、オリーブ少女オタク文化といった個人的で小さくて、id:sayuk:20030922#p4で言うようにあまり語られにくい(語られても無視されやすい)ものを語ることが、国家や法や社会に関わるいわゆる「政治的」な問題や運動と同等あるいは凌駕するレベルで「革命的」である、という意味だと思っているからかもしれません。id:sayuk:20030908#p1で言う「弱い力」にもそれは似ていて、mina perhonenのテキスタイルの1つや大島弓子の短編の1つや昨日見た青空や、そういったもの(について読んだりお喋りしたりすること)こそが「世界を変える」のではないか、という思い込みでこのダイアリーは進んでいるのでしょう。