月宮あゆが助かるってことは、(補足)

晴雨両用日記さんに捕捉されたことで、id:sayuk:20030915#p3にある「(純愛系)美少女ゲームでしばしば「あるヒロインのルートを選ぶこと」が「他の全てのヒロインを切り捨てること」として言及されることがあるけれど、」*1の元になる話をどこで読んだか思い出しました。ここですね。
僕が使っている「強度」はただ単に「名香智子レベルのラブストーリーを作る能力を持っていれば」程度の意味です。名香智子の能力についてはid:sayuk:20030911#p1ここで言及しています。(ちょうど「PARTNER」のラストが、「他の今までの恋人を捨てること」とイコールとはどうしても思えないように)あるルートが(そのルートで主人公が得た)唯一の解ではなく「1つの結果」とすることで、「月宮あゆが助かるってことは、残りの2人も助かる」ことになるのではないかと。あと、この考え方はボルヘスの「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」と「ハーバード・クエインの作品の検討」(いずれも『伝奇集』)から想起したというのを追記(「ハーバード〜」の分岐は実際には逆なのだけど)。「トレーン〜」に出てくる思想はこう。「ただ一個の主体しかなく、この不可分の主体は宇宙の存在のすべてであって、これらの存在は神性の器官であり仮面である。」実際には違う議論なのだろうけど、「不可分の主体」を「マルチエンディングストーリー」とすればこの「トレーン〜」の論理も成り立つのかもと思ったり。

*1:追記。この問題設定って、「少女革命ウテナ」で「あの2人の革命は他のすべてのキャラの挫折の上に成り立っている」と言うのと似ている気がする。自分は「革命の主体が誰であっても、革命自体はは皆に平等に訪れる」という意見だけど、反対の意見も聞いてみたい。