小説「新色」<fragment>(2)

(3回くらいは続けてみます)


夢想学者によれば、夢想には8つのphaseがあるという。
a/語り得ないこと。b/記憶、記憶が必要とする時間。c/夜。d/椅子に因るもの。
ヘレン・アボット・アボットの『夢想学』は半年前に、東実と一緒に図書室の書庫から探し当てた本だ。「ハノイの塔」ゲームのように木の床に積まれた本の、『海を感じる時』と『スカイキッド完全攻略』の間に挟まって(のちに東実は『黒のもんもん組』4巻と『ファイヤー!』3巻の間に、と脚色するのだけれど)いたその本は、初めからかなり怪しかった。
「ていうか六十七年発行なのになんで『再生紙70%』マークがついてるの?」
「あと毎週1ページずつ増えてたりね。だから奇数週には怖くて開けない」
「話作らないで下さいです……」
まるで「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に出てくる「フレニール」みたい、そう海夜子はいう。ていうか意味分からないし。それ以上説明する気ないみたいだし。ともかく。
革装(たぶんこれもリサイクル)、二七六ページ(推定)のその本を脚本の底にしてみてはどうか、と(おそらく思い付きで)言ったのは海夜子で、それが思い付きだとはその時は気付かずに、わたしは『夢想学』を通読することになった。そうしてひと月もすればノートにはよく意味の取れないセンテンスばかりが増え、ふと気が緩んだ時にそれを口走ることになる。東実はネットで検索する(googleよりkensaku派)たびに増える怪しさというかフレニールっぽさ(だから意味分からないって)を言い立てる。それは後の話。
夢想があるのではなくて、夢想されない世界が無いだけなのだ。ああこの位なら書いてあってもおかしくない。豆腐は夢である。なんかの比喩かな? おみそ汁に入れるとおいしい。料理の本かよ!とかツッコミを入れはじめるともうこの本に毒されてる。
「小さじ半分の夢想はひつじ座の幻覚で弱火でじっくりと」
「ち千明さんだいじょーぶですか?」メモ帳持って飛んでくるミクル。「まだ春は遠いんですよ?むしろ今は春以上に秋っぽいっていうか」
「ちょっと待って」
海夜子の白い腕が視界にまっすぐに斜線を引いて、その色はあの古紙率70%なのに異様に白くすべる紙質を千明に思い出させる。よりも前に、なにか避けたいもの/避け難いものを感じて、瞼をきゅっと閉じてしまう。
「そんな文章はこの本には無いはずだけど」
「全部読んどるんかい」
海夜子は本を鞄から引き出して(自分用があるんかい)、胸の前でぱらぱらと捲った、その動作が魔術のようで、千明はなんかそれずるい、と叫びたくなる。ずるいずるい、魔術は反則だよ反則。「なんかそれずるい」じゃあ私も必殺の、
「メテオは止めてメテオは」
「えーと、メテオは止めてメテオは、まる、ですね。メモメモ」