『レピッシュ!』ひうらさとる/非「岡崎京子的」なルート

白倉由美における「東京」が遠距離視点(千葉とか北海道とか、地方オリーブ少女的な)からのあくまで幻視としての全能感だったとして(例えば渋谷をZESTとmaximum joyの街として認識してしまうような)、岡崎京子が描いたのはその「東京」が幻視から現実となった際の全能感の喪失(あるいは冷静さ)だったのだけれど、ひうらさとるは初めから東京に現在した上でのさらなる(ある意味無邪気な)全能感の再確認だったとすれば比較しやすいだろうか。『pink』(だったと思う。たぶん)で憧れられ且つ得ることを諦められた「東京タワー」が『レピッシュ!』のラストでは簡単にヒロインの物となってるのは非常に象徴的で、ちょうどid:sayuk:20030917#20030917f2で挙げているささだあすかのような、少女漫画が描けないとされていた性愛以降をレディースコミックが「現実」(というイデオロギー)の押し付けとして提示したのに対し「やってみたら出来ちゃった」感で描いてしまったのと同じ感じに、ひうらさとるは「東京タワー」的な全能感を「出来ちゃうじゃん!」としてしまった。
山名沢湖岡崎京子的な消費社会論を『ミズタマ(というか「アカフダ」)』でリミックスした際に、元となった物(『東京ガールズブラボー』あたり?)を奇妙な程により上回ってしまう「肯定感」が加わってしまったのも、タイトル「ミズタマ」がひうらの『月下美人』のヒロインから取られたと言明しているように、90年前後の「少女漫画」として常に取り上げられ続けた作家が、常に無視され続けた作家とその作品上で稀有な形で巡り合ってしまったための変質なのかもしれない。ではなぜそういう階級差が(少女漫画をめぐる言説の中で)生じてしまったのかというと、例えば『pink』や『くちびるから散弾銃』が(90年前後のOlive誌の状況とも相まって)「消費社会と『オンナコドモ』との(経済力の上昇・マーケティングターゲット化による)ファーストコンタクト」を描写したのだとすれば、それが(岡崎の中立的な視点から)支配/被支配的関係に読み替えられたから、あるいはその読み替える視線が、少女漫画を外からレーティングするものと同一であったからではないか。
自作のタイトルにもしている「BABY GAME」という言葉をひうらさとるは好んでいて、説明をそのまま引用すると「オトナからみたらコドモのアソビみたいにみえるホントはスゴいことをスイスーイとやっちゃってオトナ世界のゲームに勝っちゃう*1という意味。*2ひうらの東京的「全能感」はだからちょうどオンナコドモを「オンナコドモ化」(「ジェンダー化」といってもいいかもしれない)する視線に結果的に抗している。資本社会を成熟社会とし、それを「非全能」的に受け入れることを通常とする(あるいは岡崎的な)立場はこの日記でも何度も取り上げている(「この日記について」id:sayuk:19010102#p1でも!)線形的な「成長」と同義で、だからひうらの提示する「コドモ」的全能感は僕にはずっと支持しやすく感じるし、Olive的な「少女」にも(岡崎京子よりは)ずっと親和性が高いと確信する。
id:sayuk:20030923#20030923f4にも書いたけれど、だから90年代の少女漫画(ヤングレディース)が岡崎的に描かれてきたのは非常に不幸な状況で、それはひとつは岡崎の偶然な停滞がそのまま少女漫画の停滞となってしまっている点にもあるのだけれど、フェミニズム意識の浸透で消費社会能力を得た「オンナコドモ」が「オンナコドモ」的な(消費社会の)抑圧下の形でいまだに描かれている(つまりは、原初の男女的階級差からオトナ社会の別の「男女」階級に認識が移行しただけ)のもあると思う。90年前後という同時代にすでに(『レピッシュ!』は88-89年連載)「もう1つのルート」として提示されていたものは少女漫画では入江紀子あたりしか継承していないのだけれど*3、一方で「BABY GAME」的感覚は全く別種の漫画である衛藤ヒロユキ魔法陣グルグル』で(例えば「ハートを守るこどもの戦い」なんて言葉が出てきたり)突如出現する(そう考えると「ヒナタ町日誌ムジナトラックス」のDJ合戦は東京的全能感から白倉由美的な「地方少女」に逆流する試みだったのかも)。とりあえずひうらさとる衛藤ヒロユキ入江紀子という流れから「岡崎京子史観」を解体を目論むことで(もちろん別のアプローチもあっていい)、96年から止まったままの(と思われている)少女漫画を進ませてゆこう。

*1:この意識が例えば『ハート☆ドロップ』のようなラブストーリーになると「純情が恋愛ゲームを凌駕する」という別の思想になったりする。

*2:関係ないけど、ひうらの『東京BABYゲーム』はヒロインが「ベルサイユのばら」をドラマで演るくだりがあるのだけど、ちょうど「少女革命ウテナ」の放映時とダブっていたのは今から思うと凄いことだったのかも。

*3:追記。「なかよし」作家にはある程度継承されているのを忘れてました。猫部ねこ恵月ひまわりフクシマハルカなど?