(おまけ)異性間の友情は〜

id:mitty:20031017#p2さんで、id:system:20031017#p3さん(かみさま)の話と関連してる、と指摘を戴いたので、いにしえより何兆件も繰り返された「異性間の友情は成立するか?」という問いに自分なりに答えてみようかと^^。
そもそも「異性間の友情」と言った時に想定される理想の行く先は「性差のない友情」だと思います。しかしそれに対して参照される現実的な友情は同性間のもの、つまり「同性的な友情」(オンナノコ関係やホモソーシャル的な)なわけです。そのため理想される「異性間の友情」は決して現実的なものに対応する形で成立しません(もし同性的な友情として構築されたとしても、結局はどちらかが「男性的な女性(女性的な男性)」という新たに規定された性を押し付けられてはいないでしょうか)。そもそもそれ以前に(前者の設問で理想される「性差のない友情」として)同性間の友情は成立しているのでしょうか?
上の考えをそのまま援用しているのですが、つまりは「友情」に付与される「性差のない」と「同性のような」という2つの属性を混同したままこういう設問をしても意味がないのではないかという意識なのでしょう。その辺りに気付きつつ、「異性的な友情」という概念を新たな形で構築すればそれは成立するのかもしれないです。
追記。大元のid:Ririkaさんの所でもコメント戴きました(id:Ririka:20031017)。僕が上の理論で考えていたのは理想気体のような、双方が完全に「男女の差抜きの友情」を目指している場合でもそれは同性間の友情のようには行かないのではないか、ということなのだけど、そこに至る以前にやっぱり(「男女の差抜き」を理想していながら)異性愛的なものを予感して防衛機制が働いてしまうということでしょうか。「異性間の友情は〜」話のほとんどもこれと同じような結論に帰着していると思います。
考え直してみたんですが、やっぱり「異性間の友情は〜」みたいな一般的な話にしてしまうと違う気がします。上の記事はあくまで「トランスジェンダー的な意識をもつ1人のオトコノコ」にとってどうなのか、という非常に個人的な話(初めからそう言っていますが)だと捉えていただければ幸いです。