(続き)「性差抜き」/「同性のような」、恋愛と友情

id:kaolu4s:20031017#p13さんで取り上げられていたので引用します。

女性は恋愛市場から降りられないってだけの話じゃないのかしら。にもかかわらず、女性にはオンナノコ同士は、そこから降りた純粋な真実の関係を結んでいるという幻想があって、だから、「好きになられたら」=恋愛市場にいまだとどまっている事を突きつけられると「困る」。その幻想を共有できる範囲が、多分オンナノコにとっての「同性」。

「恋愛市場から降りたオタク男女」のはずが「オンナノコ同士は恋愛と近似した様相の友情関係を結んでいる」というのは突き詰めれば確かにkaolu4sさんの言うようなことで、オンナノコ関係への気持ち悪さというのはそういう「裏切り」への感覚なのかもしれません。
ただ、上で自分が書いたことは半日経って考えてみるとやはりちょっと間違っていて、男性側からオンナノコ関係に介入しようとする一方的な視点で書かれてますが、オンナノコがオンナノコ関係的なものを捨てられないようにやっぱりオトコノコもホモソーシャルな関係から脱け出せないのだと思います。たまたまホモソーシャルな関係から脱け出してる(と自分では思っている)僕自身の視点だから上のような話になっちゃってますが。
コメント欄でも同じようなことを書いてますが、上の問題意識は簡潔に言うと「性差抜きの関係と同性のような関係は厳密には全く別のものじゃないの?」ってことなのでしょう。「同性のように付き合える」という場合は実際には前者で、本当に同性と付き合っているようには付き合ってないのではないか。例えば自身でもオトコノコと付き合う方が気がねないと感じるオンナノコがいて、相手からも「男同士みたいな付き合いだな」と言われて喜んでたとする。でも実際に相手が他のオトコノコと付き合ってるのを見るとどこか疎外感があるわけです。結局ホモソーシャルな関係と「男同士みたいな」(=性差抜きの関係、「無性という性」を押しつけられた関係)は決して重なり合わなくて、でもそもそもオンナノコも別にホモソーシャルな関係に入りたいわけじゃない。それでも「『同性のような』と見られる戦略」を取ろうとする(取らざるを得ない)オンナノコは一定数いて、それに対してオトコノコ側から「男同士みたいな」と規定するその手付きは何というか「都合のよい利用」に終始してはいないか。上で取り上げてる「オンナノコ関係からの疎外感」を反転させるとそういう話になって、だから問題はオンナノコが恋愛市場を捨てられないとかそういう一方的な話では片付かないのではないかというのを新たな印象として持ちました。
あとkagamiさんのコメントから、吉野朔実『恋愛的瞬間』の「恋愛と友情の違いについて」の講義を思い出したので引用(2巻より)。

…恋愛は あらゆる抵抗に打ち勝つ相思相愛の力
友情は 相思相愛でありながら 抵抗によって達成できない擬似恋愛関係
同性であるとか既婚者であるとか恋人がいるとか 顔は好みだが性格が気に入らない 性格はいいが肉体的に受けつけない等々 逆を言えば 抵抗があるにもかかわらず気持ちのベクトルが向き合っている 人間関係と言ってもいい
(中略)抵抗を克服すれば 恋愛になる可能性は極めて高いと言える

今日の日記は日記タイトル(close/cross; confusion is sex)にめちゃめちゃフィットした内容で個人的に大好きです(自画自賛)。