「きっと、海を渡る」ヤマモトミワコ(ISBN:4088563247)

石田や東村と同じく「Cookie」誌で活動するヤマモトミワコの作品の面白い所は、1つは2種類のモノローグを使い分けていることとそのそれぞれの「間」で、もう1つは作品内でのHシーンの位置。南研一さんがここの11/2で同様の指摘をしているのだけれど、作品の終わるべき長さ・位置に対して、作品のラストに来るHシーンが数ページ「はみ出して」いて、それが奇妙な読後感を生む。むしろそれはストーリー物のAVのように、前半が最後の数ページの(その最後に到達してしまえば読者にはもはや必要のない)付属品のようにさえ見える。
そうすることで、ヤマモトはセックスをラブストーリーとは乖離した単なる「瞬間」として描こうとしているのではないか。性愛シーンをある物語の頂点・大きな到達点とする多くの漫画に対しそれは異質で意欲的で、やはりid:sayuk:20030908#3で紹介する作品と同じく、特異点化しない性愛表現を目指すものかもしれない。それは、そもそも両想い・キスからセックス・結婚までを跳躍させてきた(埋めてこなかった)かつての少女漫画へのアンチテーゼでもあって、性愛表現が隠蔽から自己言及へと180度転回したその違和感を、その表現を無理やり物語内に埋め込むのでも記号化して薄めるのでもなくただ(一見下手と思わせるくらいに)ストーリーとの脈絡無く配置することで顕在させているのかも。もう1つ言うなら、セックスを「瞬間」、ストーリーに従属したものではない、感情と意識と身体と身体をめぐる瞬間として結晶化することで、どうしても避けられないというような諦観や、あるいは到達点として不当に注視されるような不幸に描かれた状況から解放しているのではと思う。