小説「新色」<fragment>(3)

ほんとうは、《私たちの話す言葉ははじめからいくつもの間違いを含んでいて、》それは私たちが言葉を覚えるその以前からそうで、その上に私たちはしばしば言いよどみや、打ち間違いや不確かな発音を重ねるのだから、それは澱のように私たちの意識に蓄積していって、それが私たちを死に向かわせる。《5歳の私は今言葉にするならばそんな風になることを考えていて、》そのせいで一時期ことばを使えなくなったの。たとえば夏、という単語には致死量があって、何万回以上発音すると危険だとか。妊娠する、を含む構文にははじめからの構造的欠陥があって、数%かの割合で原義からほんの少しずれた意味作用を引き起こすとか。
《今は?》たとえば言葉にしないことが、言葉を使うことと同じくらいに間違うことを知った、のだとか?
「そういえばなんで千明は文芸部に入らなかったの?」
「あそこはあの当時クーデタが起こってたから。なんか分派だった金井美恵子研究会が乗っ取っちゃって、」
「嶋守千明の一向に上がらない脚本をなんとかする問題」会議(第5回)は予想通り空中分解に向かいはじめていて、そもそも来てない東実は急用だとかのメール。「ごめん星屑十字軍から呼ばれちゃってさ〜。ところで関係ないけど『クレッチクライマー』って何だっけ?」なんか混ざってる。海夜子の座る席は4月からずっと同じ窓際で、合わせ鏡に映したような偽物っぽい相似形、4月から今へ向かう記憶は急角度の放物線のようで、わたしはいつも途中で軌跡を見失う。
「てゆーかミクルはそろそろその、ツインテールだかみつあみだかどこで結んでるんだか解析不能な髪型をなんとかしなさい」
「いや、でもでも原画の意向を訊いてみないとです……」
《ハーマン・ドットっていうのを知ってる? 黒地に白線を格子状に引いた時、交差する所にうすく灰色の影があるように見える現象》
たとえば格子の図柄をコピーにかけても、同じようにハーマン・ドットは見える。でもそれが、原版の時と同じような錯覚なのか、それともコピーで実際に焼き付けられたのか、それは区別できないんじゃないか。もしかしたら世界じゅうのすべての格子柄は同じひとつの原版からのコピーで、すべてのハーマン・ドットは最初の錯覚のコピーでしかないのではないか。『夢想学』の巻末の白紙ページはそんな文章が無造作に書き込まれて、それは何人もの手でによって修正され、増殖する。あるいは活字で印刷された本文の方も、同じように増減しているのかもしれない。そもそも初めはすべてが白紙ページだったのかも。
「観測した瞬間に髪型が決まるのよ」
「ありゃ、ひみつがばれてしまいましたか」


(うーむ続けるべきかやめるべきか)