「パラダイス・リサーチ」羽山理子

羽山理子という漫画家の名前を知っている人はほとんどいないと思うけど、2000年に「プリンセス」誌に掲載された短編『パラダイス・リサーチ』および『モダン・ダイナマイト』は非常に特異な作品で、個人的には少女漫画ラブストーリーの中では最も「遠く」に到達している内容だと思う。
やはり入手が現在では困難(単行本が出ていない)ので詳しくストーリーを述べつつ分析すると、『パラダイス・リサーチ』(プリンセス00年3月号)は、「可愛くてちょっぴりドジな女の子が」自分を好きになってくれないかなーなんて妄想する健全な少年の前に「これから君を観察させてもらえないかな?」なんて言う女の子が現れる、一見して昔ながらの少女漫画的な話。少年はもちろん恋の告白だと思って彼女と付き合うのだけど、彼女の反応はどこかずれててしまいには「彼女いるの?」なんて訊いたりする。この関係はなんだったの?と混乱する少年に相手はさらに畳み掛ける。「私は未だ生殖行為を共にしたい異性と出会ってすらいないなー」。
この時点で、かつて少女漫画が築いてきた「片思い→恋愛→性愛→結婚」の三位一体構造が逆方向から突きつけられる。「好きになったらセックスするのよ」だった少女向けのお話が一段ずれて「好きとか知らないけどセックスしたいから付き合う(結婚する)んでしょ?」(結婚→性愛)という話が白泉社・りぼん系の下手気味な絵で展開され驚くのだけど、主人公(と読者とストーリー)はいったんは元の「少女漫画的」な展開に戻ろうとする。気持ちのすれ違いに気付いた少年が別の少女に告白され、いったんは気持ちが傾くのだけどやっぱり彼女への思いに気付く、「好きなのはやっぱり…」と王道の道筋を経た所で相手から第2撃。「どーゆー基準で生殖行為の相手を選別してるの?」「やってみてよかったら好き イヤならきらいってなら私だってわかると思うのよ でもふつうは好きになってからヤるわけでしょ?」
再度三位一体構造の話に戻ると、「恋愛→性愛」の流れに逆行して「性愛→恋愛」にしてしまったのがこの台詞で、またもや主人公(と読者)はノックアウトするのだけど少年は気丈にも立ち上がる、「大丈夫 いつか絶対自分がどきどきしてるのがわかるから」という台詞は最後の牙城として残った、心・気持ち(恋愛感情)が身体的変化(ドキドキ)を引き起こすという考え方。しかしそこにさらに第3撃。「キスしていい?」「ちょっと確かめたいことがあってさ」と急激に接近して、「いつの間にか両想いだったのか」と妄想する少年に言い放つ、「ちょっと実験したいことあってさ 今から脈拍測るから…」。
「気持ち→身体」(あるいは片思い→性愛?)の流れに対して、脈拍が「1分間で135回」だったのを測ってから急に赤面する(気持ちが発生する)ヒロインは完全に逆行(性愛→片思い)していて、だからこの3段階の反撃によって三位一体構造的なラブストーリーの教条は非常に周到な形で完全に破壊される。たった30ページで片思い→結婚という少女漫画ストーリーをぶっちぎりで逆走してしまったこの作品は、例えばid:sayuk:20030908#p3やid:sayuk:20030827#p3で挙げているような少女漫画における三位一体構造の解体の軌跡よりずっと遠くまで到達していて、初読時にはほんとうに衝撃だった。僕が「少女漫画とフェミニズム」みたいなことを体系化して考える上でこの作品は非常に貴重なのだけれど、次作『モダン・ダイナマイト』で羽山理子はさらに先を行ってみせる。