「マリア様がみてる」再読してみたり

マリみての最初の方読み返してるんですが(読んだのほぼ発売時なので)、月20冊コバルトX読んでた6年前と月10本エロゲーやってる(やってません)今とでは違うものが見える、っていうかみんなこんなの読んでて大丈夫なんですか?『葬儀の日』(松浦理英子)や『ピエタ』(榛野なな恵)読まずに「白き花びら」読めちゃうんですか? とか思ったり。
ラブストーリーをカップル間の「距離」という視点で見てみる時、そこには「絶対的距離」と「相対的距離」の2つの規格があるのかもしれない。絶対的距離はつまりは片思い→両思いとかABCみたいなので、個人や環境に関わらず、片思いよりカップルの方が距離が近い、手繋ぐよりキスの方が、ヤらないよりヤる方が近い(多分「結婚」が零距離)。もちろん距離の値を小さくすることがストーリーの進展で、零になることが終了。
一方で「相対的距離」の導入された作品では、同じ「絶対的距離」のステージでもストーリー内の実感する距離はキャラ・ストーリーによって変化する。「マリみて」は同じ「姉妹」の関係でも確実に、「白の花びら」(=零距離)<令・由乃<裕巳・祥子<聖・志摩子という差が存在する、「相対的距離」に強く拠って立つ作品。距離の減少(もしくは増大)イコール関係の進展でも、ストーリーの進展でもない(もちろん距離の認識と決定は重要なのだけど)
なんて事は自分にとっては6年前だと余りに当然で、少女漫画や小説に限らず全ての作品が拠って立っていると思ってたんですが、よく考え直すとそんなのちゃんと出来てるのって『少年は荒野をめざす』(吉野朔実)あたりで、多くはあんまりはっきり示してないっていうか(JUNE系は逆にかなり強い。尾崎南の影響?)。特にオトコノコ向け少女漫画(谷川史子とか水沢めぐみとか)は「相対的距離」の導入が薄いのかなーとか(逆に遠藤さつき読むと「何でやってもないのにこんな近距離なんだー!」と気狂う男子多数。俺もオレもー)少年誌ラブコメやさらに純愛系エロゲーでは今の所思いつかないんですが(月姫や雫がちょっと微妙?)、どなたかあれば教えてください。(複数ヒロインの構造って「全員が等距離であること」に拠ってる気もするしなー)
 あと、「相対的距離」だと近い遠いが優劣にならないからこそ、津田雅美「わたしは行かない」(『天使の棲む部屋』所収)(以下激ネタバレ:彼A(遠距離)は私の太陽!男Bちょっと恐い→男Bとの間に激情走る!→AとB選べないからとりあえず夏休み彼Aとは会えない→冬休み3人で会おう(ハッピーエンド)や逢坂みえこ永遠の野原』、おおいま奏都「青空の下 君と」(『ファイト!』所収)になるのかなあとか。