「ポスト・ウーマン・リヴとスーダラ人生」水人蔦楽

id:sayuk:20030924#p2で触れた水人蔦楽の作品(同人誌)「ポスト・ウーマン・リヴとスーダラ人生」はタイトルもさることながら、内容もやはりはっきりと第3次フェミニズム的な意識に彩られた意欲作。ファンタジー仕立てなのだけれど、内容は女性の就職を模したものです。初めてエリート職種に就き能力ある女性に道を開いた母親を持ち、自身も成績は高いのだけれど、皆の憧れる母のようなエリート職種を目指すのに何か違和感を覚える「ケイナ」と、女性の就きたがらない(元々男性職種の)ある種「汚れ」仕事に敢えて就こうとする「リナ」の話。つまりは「キャリアウーマンだけを目指す『男女平等』って名誉白人と同義じゃない?」とか、「資本主義的な競争原理に無批判な『機会均等』なんて男権主義を内面化しただけじゃ?」みたいな意識で、ボスト・ウーマンリブと言いつつメンズリブにまで関わる当時の(今も)少女漫画にはありえない作品。ラストの台詞は「私ねえ 何の役にも立たない大人になりたいなあ」で終わる。
ちょうど最近『モダンガール論』(斎藤美奈子ISBN:4838712863)を読んでたりするとこの辺りとリンクするものが多々あって、結局オンナノコ達が「職業婦人」として理想したのは「楽しく生きたい」みたいな単純なこと(それは常に単純なのだけど)なのに、「女性の社会参画」「機会均等」「自立」みたいな言葉になるとそれはだんだんなんか違うものになってくるという構造。「モダンガール論」のラスト(現代)が、社長にも社長夫人にも何となく夢が持てなくなってフェミニズム的な意識が停滞したり迷走したりするのも、既に問題はフェミニズムだけでなくてもう少し大きな「資本主義的な搾取」や「成長・達成神話」みたいなもの(社会自体の男権性)にオンナノコ達が(オトコノコ達と一緒に)組み込まれはじめてるからで、「何の役にも立たない大人」って言葉はそれをしなやかにすり抜けている。『風と欅とかたつむり』で転校生による「男らしさ」の脱却の告白が主人公の意識を変えたようなのと同じで、水人蔦楽にははじめからフェミニズムと言うよりジェンダー論的な意識が自然にあるのが面白い。