津田雅美/おおいま奏都

id:sayuk:20030825の続き。
「わたしは行かない」(津田雅美、『天使の棲む部屋』所収)はid:sayuk:20030825でも概説したけど、本当は全ネームを写したくなるくらい。「一途であること」のみが恋愛の正当性だったそれまでの少女漫画に「瞬間」という概念を持ち込んで(逢坂みえこ永遠の野原」にも近いシーンがあるけど)、どちらかをいいかげんに扱うのでなく結果「両方」という結論を見せる。前の単行本『ブスと姫君』『オンナになった日』(正直この3作の方がカレカノより重要と思う)にも見られるけど、恋愛の極度な純化と極度な忌避を排することで、少女漫画ラブストーリーに残っていた恋愛>性>結婚の構造を無効化しようとする。
「青空の下 君と」(おおいま奏都、『ファイト!』所収)は「いいかげんな恋愛が真実の愛に勝つ」というすごい作品。ヒロインは付き合ってる「カレシ」とのデートを中断してふと見かけた男の子に声を掛けたり、さらにその子と屋上で一緒にいるのを友人に見られ「カレに悪いと思わないの?」と言われると「カレとはちゃんと付き合ってるよ」と答える有様。すげー。例えば少女漫画というストーリーの上で片思いとか彼女のカレが好きとか色々恋愛的な関係線があったとして、ヒロインは全てそれに付き合い最適解を出さなくてはいけないの? 恋愛を純化しない・至上としない・最優先としないその方向性は、三位一体構造やジェンダーアイデンティティから真に解放された恋愛を描いてゆくのかも。(また続く)