「ファウスト」(3)/オトコノコとオンナノコと文学テーマ

「ファウスト」創刊記念インタビュー(bk1)id:cuteplus:20030906#p2さんにあった)から引用。

―90年代以降、男の子の社会的状況が弱くなってきたから、文学的には逆に隆盛しているのかもしれません。

 事実かどうかは別にして、女の子のほうが軽やかに現実を生きている、という暗黙の了解が社会にある。文学的テーマを抱え込まざるをえないのは、どちらかといえば男の子のほうなんじゃないか。『ファウスト』の第1号に関しては、そういった認識が無意識に出てしまった気がします。

吉本ばなな江國香織岡崎京子や、あとは嶽本野ばらでもmina perhonenでもマジョリカマジョルカでも何でもいいけど、そういうのでほんとうにオンナノコは救われたのか。そのことが結局オトコノコには分からなくて、僕がやってるのはラピュタみたいな分かりやすい救出劇の代わりにそのオンナノコをトレースして疑似体験することでそのことを確認しているのかもしれないけど(というか結局、いくら待っても準備してもシータは空から降ってこなかったのだ。そのうちに自分がシータ役やったほうがいいじゃんってことになったり)、もしかしたら同じようなことしてるオトコノコも少数ながら実在しているのかもしれないと最近思う。ただそれは既にミイラ取りのような状況になっていて、異性であるオンナノコを救うのかオトコノコの自分を救うのか、オンナノコである自分を救うのか同性としてのオンナノコを救うのかもうずっと前から判別できなくなっていて、というか別にどれだっていいじゃんって感じなのだけど。